原告の活動
被害者の救済へ繋ぐ
私たちは、建築の仕事に誇りをもって、一生懸命働いてきた人と、その遺族です。 快適で安全な建物を早く、強く、きれいにつくる。直して、壊して、また建てる。 完成した建物を上から下までゆっくり眺める、充実したひととき。 親方でも子方でも、手間請けでも雇用でも、こだわりを持って働く者は、皆、職人です。 アスベスト被害は終わっていません。今後数十年間、被害発生は続くのです。 日本の経済発展を支えてきた自負があります。
心配なのは、今も建物の中に大量のアスベスト建材が残っていることです。 改築や解体の時に、若い職人や近隣の住民がアスベストを吸い込むのではないか。 21世紀後半になってもなお、アスベスト被害が続くのではないか。 こんな苦しみは私たちだけで終わりにしてほしいのに、規制や対策が不十分な現状を、見て見ぬふりはできません。
理不尽な人災を招いた建材製造企業と国の責任を明確にすること、 それが全てのアスベスト被害者の救済とノンアスベスト社会の礎を築くことに繋がる。 そう信じて、私たちは、困難な裁判に立ち上がりました。
提訴から早や11年。 この仕事を一日も早くやり遂げることが、志半ばで逝ってしまった幾多の建築職人と私たちの願いであり、決意です。
被害者・原告の声
夫と息子をアスベストで失いました。
遺族原告大阪 春子さん(東京)
私の夫・金雄と息子・誠は、大工でした。夫は大工であることに誇りとやりがいを感じて、それは毎日が充実しているようでした。そんな夫を見てきた息子も「大工になりたい」といい、一度は外で修行を積んできましたが、その後、夫と一緒に建設現場に行くようになりました。私は、夫の仕事も手伝い、夫と息子とともに仕事も家庭も楽しく暮らしてきました。
しかし、平成15年に夫・金雄を中皮腫で失い、続いて平成26年に息子・誠も中皮腫で失いました。私は、今3人(私と夫と息子)で暮らしていた家に1人で暮らしています。1人でいると、色々なことを考えてしまいます。
私も夫や息子と一緒に建設現場に行っていたので、今度は自分の番かもしれない、と思っています。それは、私の肺にもアスベストの影があるからです。
私は、夫と息子の亡くなる前の尋常でない痛がり方を見てきました。私はもし死ぬのであれば、発症する前に迎えがきてほしいと思っています。息子・誠は、「お母さん、俺まだ死にたくない。まだまだ、いっぱいやりたいことがあるのに」と悔しがり、息を引き取りました。
私は、愛する夫と息子をアスベストで失いました。
夫の命と私たち家族の夢を奪われました。
遺族原告森川 順子さん(東京)
私の夫は61歳の時に悪性腹膜中皮腫で亡くなりました。
アスベストの危険性を全く知らされず大手のゼネコンの下請けで働き、30年以上経って発症しました。しかし医師からは、腹膜中皮腫とわかっても手術をすることもできない、治す薬もないと告げられました。一生懸命働いてきただけなのに夫がどうしてこんな病気に・・・と本当に悔しく、悲しかったです。それでも夫と話し合い、病気と長く付き合っていこう。新薬ができるまで頑張ろうと励ましあってきました。
入院中、お見舞いに来てくれた家族と抱き合い、悔しくて声をあげて泣いている夫の姿は今も頭から離れません。定年後は二人でゆっくり旅行したり、一緒にやりたい事も沢山ありました。しかし夫は、娘の花嫁姿も孫の顔も見ることなく、61才の若さで亡くなりました。
国やメーカーはアスベストが危険な物だと古くから知っていたはずです。知った時点で使うのを止めていれば夫はこんな事にならなかったし、被害は最小限に食い止められたはずです。人の命を犠牲にして利益を優先した国とメーカーはには、きちんと責任をとってもらいたいです。
歩くことさえ困難に、抗がん剤の副作用に苦しむ日々。
原告望月 道子さん(神奈川)
私は30年個人事業主として、建設現場のハウス・クリーニング業を営んできました。小中学校の改修工事や、一般木造住宅の引渡し前の清掃が主な仕事でした。現場は窓を養生して防塵ネットで覆って作業していたので、頭から真っ白になりました。
私たち建設労働者は、アスベストの危険性を全く知らされることなく働き続け、多くの命が奪われ、重篤な健康被害に苦しんでいます。
私はアスベストのばく露により、治ることのない進行性の肺がんを患っています。抗がん剤で癌が暴れないように抑えている状態です。抗がん剤の副作用は大変で、体中の関節が痛くて歩くのも大変な時期がありました。今は副作用が楽になっていますが、薬が効かなくなっているのではという不安でいっぱいです。
最初は原告になることを躊躇しましたが、様々な人のサポートがあり、私にもできることをやろうと原告になりました。アスベストをなんとかしなければいけないと訴え続けて亡くなった原告の方々の遺志を継いで、できるだけのことはしていこうと思っています。
原告団の活動
2008
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建設アスベストシンポジウム
統一原告団・統一本部結成会議
参加者総計547人(原告・家族152人 -
企業要請、厚生労働省・環境省要請
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第2次企業要請、国交省要請、ニチアス社前集会
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第1次国会議員要請行動
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一斉アスベスト電話相談会
2009
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第2次国会議員要請行動
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すべてのアスベスト被害の公正な救済を求める3・27集会
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首都圏建設アスベスト東京訴訟
第2次訴訟 提訴 原告140人 -
首都圏建設アスベスト神奈川訴訟
第2次訴訟 提訴 原告36人 -
提訴1周年大行動
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被告企業要請関西行動
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神奈川提訴1周年行動
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提訴2周年行動 提訴後20人が死亡
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アスベスト訴訟
公正判決を求める署名を60万筆をこえる
2010
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民主党アスベスト対策推進議員連盟結成総会
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アスベスト対策見直し大集会
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第2次提訴・支援行動
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提訴2周年行動
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首都圏建設アスベスト全国報告・交流会
2011
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「200万署名提出」院内集会・議員要請行動
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関西被告企業「クボタ、ノザワ、ケイミュー」
第2派要請行動 -
北海道1陣訴訟提訴
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関西建設アスベスト京都提訴行動
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首都圏建設アスベスト提訴3周年集会
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大阪第1陣訴訟、提訴
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横浜地裁の早期結審から勝利判決を求める集会
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九州建設アスベスト福岡地裁提訴行動
患者原告 19人 -
アスベスト訴訟全国連絡会結成総会
建設アスベストの全国展開
2012
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被告企業要請大阪行動
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被告企業要請行動
ニチアス、太平洋セメント、旭硝子、吉野石膏、リクシル、旭硝子、住友大阪セメント -
在京主要企業要請行動
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国交省・厚労省交渉
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院内報告集会
全国会議員要請行動
民主党アスベスト議連総会 -
被告企業用交渉(交渉実施企業は、旭硝子・リクシル)
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全建総連国会議員要請行動
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首都圏建設アスベスト東京訴訟(第1次)、国に勝訴
国に総額10億6394万円の賠償を命じる。
横浜判決を覆す。 -
厚労省前集会、国交・厚労・環境省
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厚労省前集会、アスベスト省庁交渉
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在京企業交渉
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在阪企業交渉
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クボタへの抗議行動
2013
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泉南アスベスト訴訟と共同の院内集会・議員要請
泉南最高裁前宣伝 -
福岡地裁傍聴
福岡地裁の勝利判決をめざす全国決起集会 -
提訴5年「アスベスト訴訟全国総決起集会」
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アスベスト製造企業抗議行動
要請拒否企業への申し入れ
2014
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神奈川の支援組織立ち上げ集会(開港記念会館講堂)
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院内集会、国会議員要請行動
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BWIのアスベストに関する国際交流会議
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第2陣提訴
建設アスベストの早期解決をめざす全国決起集会 -
アスベスト被害の電話相談
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アスベスト製造企業交渉(在京)
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アスベスト製造企業交渉・関西
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九州アスベスト訴訟、国の責任認める
国の責任範囲を東京地裁の1981年以降から1975年以降に -
省庁前宣伝行動、院内集会、政党・国会議員要請
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アスベスト製造企業交渉
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福岡地裁の判決日を受けた国会要請行動
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京都訴訟の勝利めざす総決起集会
2015
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東京高裁へ要請・署名提出
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首都圏アスベスト提訴7年
「アスベスト訴訟全国総決起集会」 -
関西アスベストday
在阪企業交渉、関西アスベスト訴訟大集会 -
北海道アスベスト訴訟・第2陣提訴
第1回弁論・提訴集会 -
在京企業交渉
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11.19-「関西合同院内集会」
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企業要請・抗議行動
2016
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全建総連:アスベスト署名国会提出行動
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「5.20太平洋セメント本社3000人包囲行動」
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ニチアス交渉
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太平洋セメント・エーアンドエーマテリアル株主総会宣伝
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住友大阪セメント交渉
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太平洋セメント・エーアンドエーマテリアル
銀行要請 -
「11.4太平洋セメント本社サラウンド&ローテイション2000人行動」
2017
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石綿対策全国連絡会議主催の国際会議ならびに総会
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太平洋セメント交渉
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日本バルカー工業交渉
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関西一斉企業交渉
2018
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エーアンドエーマテリアル交渉
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京都1陣訴訟大阪高裁判決
国・一人親方と企業責任認める -
大阪1陣訴訟大阪高裁判決
国・一人親方と企業責任認める